ぼーっとしている話。

ぼーーーっとしてる。
ある作業が一段落した途端、プツっと、制作のテンションが途切れた。
住環境の変化とか、仕事で新学期が始まったこととか、不意に怪我したこととか、身体のサイクルとか、
この一段落のタイミングに、たまたまいろんなことが重なって、自然な成り行きとして、
節目になった気がする。
なんというか、集中力が。放散。霧散。なんでしょうか。
どたばたと職場の仕事があり、積極的に自分のために思考する気になれない日が続くと、
小説とか文学が読みたくなる。
普段、制作関係の本を読むことが多いけど、息抜きのときは、鑑賞用の本を読みたくなる。
同じ読むでも、かなり違うもんだ。
文章って、面白いですね。
以前にも日記で書いたかもしれないけど、私は大人になるまであらゆる本というものが読めなかった。
本というか、活字で表現された日本語そのものが。
それこそ文学から、雑誌掲載のコラムまで。
読んでも、文字から言葉のエッセンスを汲み取る能力がなかったため、理解できなかったという感じかな。
でも、なぜかわからないけど、大人になってからのあるとき、ふと本の読み方がわかった。
以後、たくさん読むようになった。
そういう理由で、誰もが読んでるあの本、的なものも、ほとんど読んでない。
で、今さらながら、村上春樹の代表作いろいろ、読んでます。
職場の高校の図書館で借ります。
最寄りの公共図書館では、ほとんどが貸し出し中の村上春樹作品も、高校なら、ぜーんぶあります!
不思議ね〜。
自分の方が抜け殻状態のときに、濃密な文章を読み続けてると、日常の感覚全てが、
「そっちの方」に取って代わられるような気がする。
それがまた、けだるい。
読む主体の無い、読書。鑑賞に徹するのが久しぶりなため、なんだか心もとない気分。
こういうときは、徹底的にぼーーーっとしつくすべきかしら。
それとも、積極的に遊ぶのがよいのやら。