アーティストは、はなやかな感じ。

昨夜、ニュートロンの新年会に行きました。
関係者ばかりだったけど、すごい人!
私もよんでもらえるような、ニュートロンのパーティは、最後だったかもしれないです。


ところで、華やかな場所に行ったからか、ちょっと考えてしまったんだけど、
ギャラリーという場所は、非日常だなーと思う。
作品を発表する場に、作者である「アーティスト」として居るときは、
アトリエで制作している自分とは、まったく別人になっているような気がする。
アトリエで私は、絵の具だらけの作業着を着て、ヘッドホンで耳ふさぎ、本気でお見せできない残念な顔で制作をしている。
すみません。
そんで、制作中に自分の作品ことを、ほとんど話したりしない。
形成途中の作品て、わりかしデリケート。
制作中って、こっちか、あっちか、という選択を、神経尖らせて無限に繰り返す作業ばかりしている。
もちろん私はユニット組んでる作家ではないので、誰と相談するでもなく。
さらに、こっちよりもっと良い方法はないか、いやまて、別の見方をすれば違うのではないか、
という無限に可能性がある中で、ある基準に絞り込んで行かないといけない。
それが、適しているのか、適さないのか、という基準は、客観的な視点からだけでなく、
自分の直感も大事だと思う。
私は、人の言うことはわりと受け入れてしまう方だ。
だから、制作中に聞く他人の意見は、ときに良くない影響を及ぼすことがある。
学生の時なんかはまだ若いし、人生経験も浅く、それはもう他人の意見に翻弄されっぱなしだった。
社会に出て仕事などいろいろ経験してから、やっと自分を守ることができるようになってきたと思う。
豊かな感性と、強い精神力。俗っぽい言葉だけど、本当に必要やと思う。最近。


「アーティスト」のときは、もっと格好いい。
すでに完成された作品を携えて、制作中に考えて出た結論の部分だけを、流暢に語る。
苦労のあとなんてみじんも見せません、余裕の表情である。
そしてギャラリーで展示する間は、「アーティスト」とよんでもらえる。
でもアトリエでは、私は「アーティスト」じゃない。
普段制作時間の方が長いのだけど、ここ最近、展覧会が続き、「アーティスト」でいることも多く、
なんというか、日常との落差に、ふわふわとしている。


ミュージシャンや俳優の人たちなんて、生身で「アーティスト」。もっと大変だろうなーと思う。
ていうか、「アーティスト」ってなに?