学内展見たこと。もじもじするということ。

昨日、京芸の学内展に行ってきた。
昨年末、博士の修了作品見に行った以来かな。
ご一緒した冬耳さんは、初京芸ということでした。運転ありがとうございました!
卒業して5年が過ぎました…。在学生は、ほとんど知らない人ばかりになっていた。
当たり前やけど。。


少し前までは、自分と同世代の人たちの作品、と思ってみていたけど、
今回は、ひと世代下、という印象が強かった。
それは何だろう、ある程度完成された表現として見て、価値観や世界観の違いに世代差を感じる、
というのではなく、
学生の作品独特の未完成感に、同じ作り手として、若さを感じた、ということ。
上から目線じゃなくて、学生のときと自分が違ってきたのだなあと意識したということです。
もちろん、博士の人たちとか、年齢も経験値も高い人たちが出してる展示もあるのだけど、それは例外として。


一点一点の作品は、高い完成度を持つものもあるのだけど、おおむね、すごく背伸びをしているなあーと感じた。
美大生は、卒展とかそういう一大イベントで、いったん無理にでも完成形をとらないといけない。
その完成形の設定に、学生たちのプライドと気合いが見て取れる。
とても生真面目で、誠実。すごく格好いいと思う。
学内展の出品者は、やる気あるというのもあると思う。
若いうちは、自身の限界を超えた、大きなものを目指すものだし、身体的に無茶もする。
そうして、完成度はともかく、ちゃんとやり遂げて展示されている。
社会に出ると、やはり身体的、金銭的な無茶は、極力避ける傾向になってくる。
学生は、ほんまに偉い。そして、贅沢やなー。


でも継続的な制作をする良い作家というのは、ただ一点の作品の完成度が高ければ成り立つものではなくて、
持続可能性と、今後の展開の可能性が、感じられる必要があると思う。
卒展では、良い作品であって当たり前。生涯のベストを尽くす人も多いだろう。
だからそこで、その人の資料を見たり、展示の構成を見ると、この段階でこんなに完成させちゃって、
この後どういう展開するんだろ?と疑問なものが多い。
こういう、「がんばりどころ」の展覧会でこそ、全力出していながらも、どこか抜けのある、
余裕の展示ができる人の作品にかえって、今後の可能性を、私は感じる。
私が人の作品に期待するのは、作品の完成度とかそういう表面的なことではなく、
自然体で制作ができる作家の人柄への信頼感かもしれない。
それはひっくり返って、自分の作品がそうありたい、ということだ。
作品は結局、それ自体で成り立つものでなく、作り手の姿がどうしてもすかし見えるものと思っている。
あー、良い作品を作っていきたい。


そういえば、京都オープンスタジオ桂(http://kyoto-openstudio-katsura.jimdo.com/)も、この週末にやってますね。
おせわになってる、桂スタジオ、うんとこスタジオが参加してます。
うう、ただいま個展前。行けるかな。。がんばって行きたいな!



あと関係ないけど、私はすぐもじもじする。
もじもじするということは、照れることで自分の意志を示すことを放棄しているということなので、
その人に対して、怠慢な態度だと思う。
これからはもじもじせず、ちゃんと向き合って行かねばと思う!
遅くまで書いちゃった。明日も制作がんばろう。
おやすみなさい。