クレー見て。

前回の記事で、アート巡りをしたのでまた書く、といったけど、たくさん行った中のちょっとだけにします。


4/7、お花見の日、京都国立近代美術館のクレー展を見てきました。
クレーといえば、日本では一般的にも大人気で、受験生ならみんな好き!という感じの、ど定番画家です。
あえて見ようとしなくても、印刷物等で見る機会はかなり多く、むしろ見飽きてるようにすら感じていました。
クレーの作品は、絵本に出てくる優しい世界を描いている、イラストレーションのように解釈されて、見られることが多いと思う。
それは、印刷されてもなにが描かれているかわかるし、物語性を感じさせる。
それから、写真にもはっきりと写る、絵の表面の質感は、誰にでも暖かさを感じさせるのだろう。
私はいままで、クレーのこういった暖かい印象があまり好きになれなかったのだけど、
偶然、最近になってふと、TASCHENのクレーの薄い画集を読んだら、すごく面白く感じて、
興味を持ってきていたところでした。


というのも、作品の技法が、まず半端じゃなく広いバリエーション。
油性、水性、布、紙、なんでも使う。
描画用具も、鉛筆から筆、オリジナルのスクレパーのような物までを使いこなし。
しかも、パネルや木枠を使わず、厚紙に作品を貼付け、その厚紙の方にサインをしていたりして、
なんだか形式がものすごい自由。
何じゃこりゃ?って、思いました。
そういう時に、この展覧会の開催予定を知ったので、絶対見に行こうと思ってました。


実物は、非常に美しかった!
絵の具の塗面をいかに美しく見せるか、という実験のために、作品を作っているようにすら思える。
フリーハンドで描かれた線描が、色面を分割している。
線描はとても即興的で、それを改めて作品画面に転写したり、さらに手を加えたりして作品にしている。
つまりドローイングを絵画作品にする、ということだとおもう。


前に、人とそういう話をしたなあ。
小さな画面に即興で線描をして描かれたドローイングは、面白いことが多い。
でもそれを、「ドローイング」から「絵画作品」にそのまま移行させるのは、難しい。
というか、無理。
大きな作品画面では、小さい画面のように「ドローイング」はできない。
「ドローイング」は、手元で全体が一望できる小さな紙と、筆圧をかけられる描画材、
あと、その線幅の関係で成り立っている。
大きな画面に十分な線幅で、鉛筆やボールペンのように筆圧をかけて描ける描画材は、ない。
面白いドローイングをする人が、それを「絵画作品」にしようとしたとき、
どうしても超えられない「ドローイング」→「絵画作品」の壁を、
それでも超えようというもがき苦しみが、新しい技法を生み、そこから初めて「作品」ができていくのだと思う。


クレーも、そういう人なのかもな、と思った。
でも、作品がすごく小さい。
たまたま小さいのばかり展示されてたのかな?
小さいと密度の高い美しい画面作りに専念できるし、やらしい話、小さいと飾りやすいので、売れる。
だからクレーの作品の小ささは、ちょっと腑に落ちない感じだけど、
それでも圧倒的な量を制作し、いくつもの技法を研究、開発し、あらゆる画材を使い、
作品を展開している姿勢は、やっぱりすごい。
間違いなく、絵が大好きで描いている。
好きで描いているひとには、そうでないひとには絶対にかなわない、気迫がある。


うん。
行って良かったです☆
あと翌日行った、国立国際美術館の、「風穴」展も良かった。大好き。
おすすめです。